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October 29 タイタイの入院またもや1ヶ月ぶりの更新となってしまいました。
実はタイタイ、今月初めに10日ちょっと入院していました。(退院して今は元気に過ごしています) 急なことだったので、ななごんはその間隣にある夫の実家へ。 タイタイの病名は“川崎病” まさか自分の子どもが病気になり入院するなんて思ってもみませんでした。 健康で過ごすことってすごいことなんだな、五体満足で健康に生まれてくることって当たり前のように感じてしまうけれど素晴らしいことねと実感する日々でした。 以下は入院の記録です。
10月5日(金)
明け方あたりからタイタイ発熱。 38度台なので、病院へは連れて行かず家で過ごす。 人生二度目の発熱で本人も対応できないのかグッタリ。 寝返りもほとんどせず仰向けのままあまり動かない。 食欲(飲欲?)は変わらず旺盛。 10月6日(土)
熱は下がらず・・・ 明日から二日間連休なので念のため病院を予約。 出掛けに測ると平熱近くに戻っていたので予約をキャンセル。 その後熱が再び上がるのでちょっと後悔。 夕方私はななごんを保育園へお迎えに。タイタイは寝ていたので夫とお留守番。 起きた後タイタイの首が腫れていることに夫が気づく(珍しく役に立ちましたわ
おたふく風邪ではなく、リンパが腫れているよう。 私も小さな頃よく腫れていた・・・ 明日からの連休でひどくなっては困るので、薬をもらうため救急に行くことにする。 この時点で16時半くらい。 救急へ行って帰ってくると遅くなると思い、ななごんに夕飯を食べさせてからにしたかったが、何となく万が一のことを考え支度をしてすぐに出かけることに。
いつも行く病院の救急。この辺りでは結構有名なところなのだけれど、救急で診てくれるのは研修医ばかり。 私が肋間神経痛がひどくて駆け込んだ時も、ななごんの高熱で駆け込んだ時も研修医。 それが悪いとは言わないけれど。。。 今回ももし研修医でも、もし何かあればまだ小児科のドクターが残っているはずと確信。 彼らが帰ってしまう前に受診することに決定。 まだ夕方のせいもあってか3番目くらいに呼ばれたが、やはり研修医。
一通りの診察を終え、「それほど熱は高くないようですし、元気もあるので・・・(熱のある状態に慣れてきたのかタイタイは元気を取り戻していた) ただ首が少し腫れているのが気になるので上の先生に聞いてみます。」 内心「よかった~。その言葉を待ってたよ~。」 しばらくするといつも診てもらっているドクターが救急室へ降りてきた。 思わず彼に後光がさして見えた・・・気がする。 数分後、再び呼ばれて診察室へ。
指示されてタイタイの左腕にあるBCGの跡を見せると、少し赤く腫れていた。 そしてドクターから思わぬ言葉が。。。「川崎病かもしれません。」 「熱が数日続いて、首が腫れ、BCGの跡も腫れている。幾つかある川崎病の条件を3つ満たしています。入院ですね。」 首の腫れに気づいた時、夫も「おたふく風邪じゃないけれど、川崎病じゃないよね。」とは言っていたんだよね。
まさか自分の子どもが病気になるなんて思わないから、ただリンパが腫れただけと思っていた(信じていた)私。 “川崎病”の病名を聞き、ガーーーンと頭を殴られた感じ。 そしてすぐに「ななごんをどうしよう。」と現実に戻った。 タイタイの出産の時は前もってわかっていたから着替えなどの用意もしていたし、そろそろかなと思う頃から実家に戻りななごんが慣れるようにしていた。
まさかこんなに突然どこかへ預ける日が来るとは。 ななごんに「おばあちゃんのお家(夫の実家)に行く? ばばちゃまのお家(私の実家)に行く?」と何度訪ねても、「ママがいい!ママといる!」の繰り返し。 「ママといてもご飯も食べられないしお風呂も入れないよ。ななちゃんは病院にはお泊りできないんだよ。たいちゃん病気だからね。」と教えても「ご飯食べなくてもいいからママといる!」(この言葉には2歳半の子がこんなことを言うなんて・・・と正直驚きました。) どんなに話してもわからないと思ったので、とりあえず入院の仕度をしに私が自宅へ戻ることにしました。
車で来ていたので、車で戻り帰りは歩いてくることに。(歩いても7、8分だし) ここで18時半くらいだった(と思う)。 ななごんを連れて自宅へ戻り、まずななごんの仕度。 隣の実家にしても私の実家にしても、自宅で寝泊りはしないと思ったので着替えと保育園の用意、洗面道具などを思うままに詰め込む。 そしてありったけのタイタイの長袖服(なるべく前開きの物)、自分の着替え、タオル類と自分の洗面道具等。 ななごんの仕度は何とかできたが、入院のほうは本当はどうしていいかわからなかった。 自分でもすごーく慌てているのがわかったけれど、不安定ななごんに気づかれないようなるべく明るい声を出して話しかけていた。 点滴の用意をすると言っていたので、針を刺されて大泣きしているであろうタイタイのことも考えつつ。 早く病院に戻らなければならない、でもななごんもかわいそう、これからどうなるのかどのくらいかかるのか全くわからず私も不安・・・
途中で私の両親に迎えに来てもらったが、ななごんの強い抵抗に遭い、最終的には「パパといる」の一言に両親は帰宅。
再び病院へ行く前に隣の玄関へほとんど強引に置いてきた。 この時はまだ川崎病の名前は聞いたことがあるものの、原因や病状などについては何も知らず、ななごんのほうが心配だったというのが正直なところだ。 ななごんのことを振り切るかのように両手に大荷物を持ち(普段こんなに重い荷物を持っていたら絶対歩かない私なのに。いざとなったらできました。)、かなりの速足で歩いた。 病院の中へ入るとほとんど駆け足状態。 タイタイがどうなっているのかすごーく心配になっていた。 救急室に行ってみたが、点滴用のベッドにはタイタイはおらず、もう病棟へ移ったという。 急いで小児科病棟へ上がった。 時々エレベーターが開いて見ることはあった小児科病棟。
まさか自分の子どもが入院し、自分が付き添うことになるとはつい数時間前まで予想もしなかった。 ナースステーションで部屋を聞こうと向かったが、すぐに子ども泣き声が聞こえ、間違いなくタイタイだった。 そーっと部屋のカーテンを開けると柵付きのベッドの上で泣き叫ぶタイタイがいた。 左足の甲に針を刺されたらしく、ギブスを巻いたかのようにグルグルに固定されていた。 すぐに夫の手から受け取り抱っこすると泣き止んでくれた。 ななごんのことも気になるので、交代で夫には帰ってもらう。 落ち着いた頃に抗生剤の投与も開始され、タイタイと私の入院生活が始まった。 この後入院生活は10日以上続きました。
続きは後日・・・ |
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